まあ、自業自得というか……。そう思ってしまう自分がいた。自分で選んだ男だろ? 望み通り美形で金持ちの男と付き合えて、喜んでいたんだから、それで良いじゃないか。そう心の中で冷たく呟きながら、俺は、遠くで一人佇むカオルを冷めた気持ちで見ていた。
以前の俺なら、きっと駆け寄っていたかもしれない。話を聞いて、力になりたいと願っていたかもしれない。でも、今の俺には、そんな感情はもう残っていなかった。彼女に突き放され、心を深く傷つけられたあの時の痛みが、俺の感情を麻痺させていた。
彼女の孤独な姿は、俺の心を揺さぶらない。それどころか、どこかでざまあみろ、というような、醜い感情が芽生えていることさえ自覚していた。かつての優しい思い出は、今ではただの幻影にすぎない。もう、俺の心の中に、彼女を想う純粋な気持ちは残っていなかった。
学校の帰り道、昇降口を出たところで、またしてもカオルが俺に声を掛けてきた。秋の冷たい風が、彼女のポニーテールを揺らす。
「ゆ、ユウくん……? 一緒に帰ろ?」
その声は、以前の自信に満ちたものとはまるで違っていた。どこか怯えているようで、緊張しているのがありありとわかる。彼女の視線は定まらず、俺の顔色を窺うように揺れ動いていた。
「好きな人が出来たんだろ? そいつと帰れよ。俺は関わる気はねーよ」
俺が突き放すようにそう言うと、カオルは俯いたまま、か細い声で話し始めた。ポニーテールが、力なく揺れている。
「……それ、ダメだったの。わたしなんか相手にされるわけないのに、喜んじゃって……舞い上がって、周りが見えてなかった」
急に話し出したかと思えば、彼女は潤んだ瞳で俺を見上げてきた。まるで俺が彼女を泣かせたかのような目だ。その瞬間、ちょうど下校中の生徒たちが、好奇心に満ちた視線を二人に向け始めていた。彼らの視線が、まるで鋭い刃のように俺とカオルを切り裂いていく。俺は、その視線から逃れるように、カオルからさらに一歩距離を取った。
正直なところ、もう関わる気はまったくなかった。俺を見下すような言い方で告白を断り、俺から離れていったのはカオルの方だ。それなのに、彼氏とうまくいかなくなったからと、今さら声をかけてくるのか。俺とどうしたいんだよ? クラスで一人でいるのが辛いから、俺を利用しようとしているのか? それは全部、カオルが自分で選んだ道だろう。
話しているだけで、胸が締め付けられるように苦しい。頼むから、もう俺に近づかないでくれ。友達が欲しいなら、自分で作り直してくれよ。そう言いたいのを必死で堪える。
「はぁ……じゃ、帰るか……」
俺は深く溜息をつき、カオルに背を向けたまま、言葉を振り絞るようにそう呟いた。この場から一刻も早く立ち去りたかった。
カオルは、俺が立ち去ろうとするのを必死に引き留めるように、再び声をかけてきた。彼女の震える声が、夕暮れの空に吸い込まれていく。
「ユウくんの家に……久しぶりに行きたいな……」
その言葉に、俺は思わず足を止めた。久しぶりに、二人で互いの家を行き来していた、あの無邪気な頃の声色を思い出し、胸の奥がざわつく。しかし、すぐに頭を冷やし、冷たく言い放った。
「は? 何でだよ。彼氏とダメになったから、今さら俺と一緒にいたいとか?」
「……だめ?」
なんと、カオルはそれを否定しなかった。その上、珍しく俺を上目遣いで見つめてくる。子犬のような潤んだ瞳で、可愛らしくお願いされると、俺の心は少しだけ揺らいでしまう。だが、同時に、彼女の身勝手さに、またしても嫌悪感が胸に込み上げてきた。
一度は俺を突き放したくせに、都合が悪くなったら、また昔の関係に戻ろうとするのか。その甘えに、俺はもう付き合う気にはなれなかった。彼女の寂しそうな表情と、自分の受けた傷の痛みが、俺の中で激しくぶつかり合っていた。
「いや、お前、俺の告白をはっきり断ったよな?」
俺の言葉に、カオルはわずかに俯いた。
「だから……後悔してるって言ったよね?」
彼女の声は、震えていた。その言葉に、俺は眉をひそめる。
「いや、『ひどいことを言ってごめん』とは聞いたが……断ったのを後悔してる、なんてのは初耳だぞ?」
俺の言葉に、カオルは小さく息を漏らす。そして、もう一度だけ、俺の顔を伺うように見上げてきた。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
「……ごめんね?」
その声は、消え入りそうなほどに小さく、か細い。周囲の生徒たちの視線が、まるで鋭い針のように、チクチクと肌を刺すように感じられた。俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。彼女の言葉は、俺の心をわずかに揺らしたが、それ以上に、この状況に対する不快感と戸惑いが、俺の心を支配していた。
俺は、カオルの瞳からゆっくりと視線を逸らした。もう、彼女の潤んだ瞳に惑わされたくなかった。
「遠慮しておくわ。どうせ、また美形でお金持ちの彼氏ができて、さよならする気だろ」
その瞬間、俺の心は、不思議なほどに静かになった。これまで俺を苦しめていた、カオルへの怒りや嫌悪感が、まるで嘘のように消え去っていく。そして、代わりに、彼女をもう一度、受け入れたいという気持ちが、静かに、そして強く湧き上がってきた。 俺は、カオルがどんな過去を抱えていようと、俺がどんな光景を見てしまっていようと、それでも彼女が好きだということを、再認識した。目の前で俯いている、傷つき、弱っている彼女を、今度こそ俺が守りたい。そんな、強い感情が、俺の胸に込み上げていた。「お前、また、”美形で金持ち”とか、”安定した職業のイケメン”とか、言い出すんじゃないのか?」 そう俺が尋ねると、カオルは慌てたように首を横に振った。「へ? あぁ、ないない……わたしだってね、ずっとユウくんが好きだったんだから……お金持ちや美形は、もうイヤだよ」 カオルは、少し涙目で、でも力強くそう言い放った。その言葉は、俺の心を温かく包み込んでいくようだった。「あの時から変わってないし!何度も告白されて……嬉しかったんだから。恥ずかしくて”うん”って言えなかった……ごめんね」 カオルの言葉に、俺はただ黙って、彼女を見つめることしかできなかった。彼女の目には、もう嘘はなかった。それは、純粋な、俺への想いだった。俺は、もう迷うことはなかった。 俺は深くため息をつき、部屋の中を改めて見渡した。部屋のあちこちに散りばめられた、俺とカオルの思い出の品々。写真立てには、二人が笑い合っている写真が飾られていた。小学生の頃に俺がプレゼントした、不格好な絵や、折り紙で折った花や動物。ポケットマネーをはたいて買った、安物のネックレス。そういった物が、大切そうに、部屋の隅々に飾られていた。 ああ……、そうか。最近、カオルが俺を部屋に入れてくれなかった理由はこれだったのか。この、俺との思い出の品々を見せるのが恥ずかしかったのだろう。だが、今日はそんなことを気にしていられ
俺は思わず、心の中で叫んだ。 は? あの時、キスしてただろ? 嘘つき! 茂みの向こうから、はっきりとキスする音が鳴り響いてたっての。 俺がムスッとした顔をしていると、カオルは俺の顔色を伺うように、言葉を続けた。「小学校の……中学年の頃かな。ユウくんの家に泊まりに行ってさ。ユウくんが寝てる時にね……ファーストキスしたんだぁ」 彼女は照れたように、でも少し得意げに、唇に指を当ててみせた。その言葉に、俺の頭の中は再び混乱する。彼女が言うファーストキスは、俺が知らない間に起こっていたことだった。そして、俺が目撃した校舎裏でのキスは、彼女にとっての初めてではなかった。彼女の言葉は、俺の知らない過去を語っているようだった。「ユウくんも好きだって言ってくれてたし、わたしも好きだったから……いいかなって。ちなみにね……唇にだよ」 はぁ……まったく。そういうことを、今、言うのかよ。あぁー、はいはい。俺の負けだよ……。カオルには敵う気がしない。俺は、もう何も言い返せない。 カオルの言葉は、俺の知らない過去の純粋な思い出と、俺が目撃してしまった今の淫らな現実を、ごちゃ混ぜにしていく。俺の心は、もはやどちらが本物なのか、見分けることができなくなっていた。彼女の言葉は、まるで俺の心を解体して、再構築しようとしているかのようだった。 彼女の目を見つめると、そこには昔と変わらない、無邪気で、少しだけ意地っ張りな少女がいた。だが、その背後には、俺が知らない間に彼女が経験してきた、傷と汚れの影が、はっきりと見えていた。 俺は、この複雑な感情を抱えたまま、彼女と向き合わなければならないのだろうか。そう思うと、俺はただ、深い、深い溜息をつくことしかできなかった。「そうなんだ……」 俺がやっとのことで絞り出した言葉に、カオルはさらに信じられない言葉を続けた。「……うん。そうなの。えっと&h
カオルは、俺の隣で、再び深い溜息をついた。「はぁ……ユウくんも、あの噂聞いちゃったよね?」 その言葉に、俺は胸の奥がざわつくのを感じた。噂じゃなくて、俺はすぐそこで見てたんだけどな……。そう心の中で呟く。だが、ここで本当のことを言うわけにはいかない。もし嘘をつこうとしているなら、付き合っても同じように嘘をつくだろう。友人としての関係さえ、もう終わりだ。いっそ「俺、そこにいたから!」と言い放って、二度と彼女に関わらないようにするべきか。そんな考えが一瞬頭をよぎった。 カオルの瞳は不安そうに揺れていた。彼女が俺の反応を待っているのが痛いほど伝わってくる。俺は、嘘をつくべきか、それとも真実を告げるべきか、迷っていた。「あぁー、まあな」 俺が曖昧な返事をすると、カオルはさらに深く、ため息をついた。「はぁ……だよね。教室でバラされちゃったしね。もう最悪だよ」 いや、最悪だったのは俺の方だ。俺はそう心の中で叫んでいた。長年好きだった相手が、他の男と愛し合っている姿を見せつけられたんだ。こんな最悪なこと、あるかよ。俺は、やり場のない怒りと、どうしようもない悲しみが入り混じった感情を、必死で押さえ込んでいた。 カオルの言葉は、まるで他人事のように聞こえた。彼女にとっては、ただ単に噂が広まってしまったことが最悪な出来事なのだろう。その認識のずれが、俺の心にさらなる溝を刻んでいく。俺は、彼女の隣に座っているのに、その心はまるで遠い場所にいるかのようだった。 俺は何も言えず、ただ黙って、天井を見つめていた。 カオルは、もう一度大きなため息をついた。「先輩とデートしてさぁ……遊園地とか買い物してご飯をおごってもらって……」 ぽつりぽつりと、壁や窓の外を眺めながら話し始めた。その横顔は、遠い記憶を辿っているかのようだ。俺は黙って耳を傾ける。カオルが語る先輩との思い出には、一切の嫉妬や不快感は湧かなかった。なぜなら、俺はその後の結果を知っているからだ。彼女が「
「わっ。ユウくん、どうしたの? 心配で訪ねてきてくれたとか?」 カオルの言葉に、俺は一瞬詰まった。心配……か。正直、自分でもよくわからなかった。だが、元気そうなカオルの笑顔を見て、胸の奥にじんわりと安堵感が広がったのは事実だった。「ま、まあ、そうだな。元気そうで良かった。顔を見に来ただけだから……帰るなー」 俺はそう言いながら、踵を返そうとした。俺は一体、何をしに来たんだ? ただ、学校をサボりたかっただけなのか? 自分でもわからない感情に、俺は戸惑っていた。 そんな俺の背中に、カオルの明るい声が再び響く。「もぉ。ユウくん!ちょっと待って。上がっていきなよっ。こんな時間に行っても遅刻でしょ? ねぇ、せっかくなんだしさ……」 俺が踵を返そうとしたその時、カオルが玄関の奥から、フード付きの可愛らしいパーカーを羽織って出てきた。部屋着のままの姿だった。「そんなつもりで来たんじゃねーし……」 俺は、彼女の部屋着の姿を見て、思わず言葉を漏らした。だが、自分でも何のためにここに来たのか、正直わからなかった。カオルの元気な顔を見て安心したのも、そして部屋に誘われて、心のどこかで嬉しかったのも事実だ。 俺の心は、懐かしさと、安堵と、そしてほんの少しの期待でぐちゃぐちゃになっていた。俺は、自分でも制御できない感情に、ただただ戸惑うばかりだった。 やっぱり、俺にはまだ未練があるのか。もし本当に吹っ切れていたなら、学校をサボってまで会いに来るはずがない。そう自問自答しながら、俺はカオルをまともに見ることができなかった。自分の行動が、過去の清算のためなのか、それともまだ彼女に惹かれているからなのか、その答えを見つけられずにいた。「ほら、こっち……家に誰もいないから遠慮しないでってば!」 強引に腕を掴まれ、カオルの家に引きずり込まれる。あの時、不快感を覚えたはずなのに、彼女に触れられた腕に、ドキドキと心臓が早鐘を打っていた。俺は、その心臓の音を誤魔化すように、た
俺はそう言い放ち、彼女の腕を振り払うと、足早に立ち去った。カオルの、悲しみに満ちた表情が、俺の瞼の裏に焼き付いて離れなかった。かつての純粋な彼女の笑顔と、今の悲しい表情が、俺の心の中で激しく交錯していた。 カオルから積極的に声をかけられたり、あの日のように触れられたりするたび、俺の胸には懐かしさがこみ上げてきた。小学校からずっと続いた、気兼ねなく笑い合った日々。そんな温かい思い出が、冷え切った心にじんわりと染み渡るようだった。 しかし、その懐かしさも束の間、すぐに校舎裏で見てしまったあの光景が脳裏に焼き付くように蘇ってくる。快楽に蕩けたカオルの表情、生々しい肉のぶつかり合う音、淫らに揺れる身体。純粋な思い出は、不快な感情と混ざり合い、ぐちゃぐちゃになっていく。 まるで、幼い頃に大切にしていた宝物が、泥水に浸されてしまったかのような感覚。どれだけ拭い去ろうとしても、その汚れは簡単には落ちない。カオルと過ごした過去が、美しく輝くものから、見たくない、触れたくない、汚れたものへと変わってしまったようだった。 あの時、俺が感じたのは、ただの嫌悪感だけではなかった。裏切られたような絶望と、二度と戻れない過去への喪失感。それらが複雑に絡み合い、俺の心を蝕んでいく。 同時に、身体の奥底から込み上げてくる熱に、俺は抗えなかった。カオルの、あの淫らな姿を思い出すだけで、どうしようもなく興奮してしまう自分がいた。その感情が、俺の心をさらに深く混乱させる。俺は、ベッドに横たわり、久しぶりに自分の息子を扱いていた。快感に震えながらも、俺の心は、懐かしさと不快さの間で、激しく揺れ動いていた。 かつて愛した少女の姿が、今では快楽の対象となってしまった。その事実が、俺の心を深く、深く蝕んでいく。俺は、快楽に身を任せながらも、心の中では、二度と戻らない、純粋だった日々を思っていた。この感情は、一体どこへ向かうのだろうか。俺には、もう分からなかった。 翌朝、ベッドの中でぼんやりとスマートフォンを眺めていると、珍しくメッセージの通知が届いた。差出人はカオルだった。俺は、眉間に皺を寄せながら画面をタップする。『ごめん。今日やっぱり休むね。学校に行きづらいし&
授業が始まる時間になっても、カオルは戻ってこなかった。担任が少し心配そうに彼女の席に目をやるが、結局授業はそのまま始まった。その後も、カバンの置かれたままの席は空席のままで、昼休みになってもカオルは姿を見せなかった。 俺は、昼食をとる気にもなれず、あちこちとカオルがいそうな場所を探して回った。保健室の扉をそっと開けてみたり、彼女がよく一人で本を読んでいる図書館の隅を覗いてみたりしたが、どこにも彼女の姿はない。 まさかとは思いつつも、忌々しいあの場所、校舎裏の茂みへと足を向けた。重い足取りで、人の寄り付かない薄暗い場所に踏み込む。だが、そこに彼女はいなかった。ただ冷たい風が吹き抜けるだけで、俺の心だけが、重く沈んでいくような気がした。カオルにひどいことを言った後悔と、彼女を見つけられない焦燥感で、俺の胸は張り裂けそうだった。 一応、担任の先生にカオルのことを尋ねてみた。放課後の職員室は静かで、俺の声がやけに響く。「カオル見かけないですけど、もう帰ったとかですか?」 担任の先生は、眉間に皺を寄せながら答えた。「なんだか泣きながら職員室に来てな。体調が悪いから帰ると言って、帰って行ったぞ」 その言葉に、俺の胸はチクリと痛んだ。やっぱり、俺たちのクラスにいた男子の心ない言葉が原因だったのだろうか。俺は、自分でも何を考えているのかわからないまま、口を開いていた。「……そうですか。カバン、届けても良いですか?」 先生は、少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに表情を緩めた。「そうだな、お前たちは家も近く、昔から仲が良かったもんな。助かる。頼むわ」 俺は先生からカバンの入った袋を受け取り、職員室を後にした。ずっしりと重くなった袋を肩にかけながら、俺は自嘲する。 ……俺、何してるんだ……? もう、カオルとは関わらないと決めていたはずなのに。それなのに、自分からカバンを届けてくると言ってしまった。俺の心は、まだカオルから離れられずにいる。そんな自分の弱さを感じながら、俺は重い足取りでカオルの